最近、自分の思考の軌跡を残しておきたいと思うようになったので、とりとめのない日々の気づきや自己分析を雑記として残しておきたいと思う。「大人になってゲームをやらなくなった」という話をよく聞くので、大人になって一度やらなくなったけど、またゲームをやり始めた私のケースを紹介してみる。あとゲームに対する思いも少々。
テレビゲームが生活の中心だった幼少期
私は小さいころからテレビゲームが大好きだった。引っ込み思案な性格から、外に出てみんなで遊ぶよりも、家でも刺激的な体験が得られるゲームを私が好きになったのは、自然な流れだったと思う。
世代的にはスーパーファミコンやゲームボーイが全盛期だったが、親戚からもらった大量のファミコンが家にあった。そのため物心ついたころにはアイスクライマーやジョイメカファイト、そしてスーパーマリオブラザーズをひたすらやっていた。
もちろんスーパーファミコンや任天堂64もサンタクロースにお願いして買ってもらい、スーパーマリオワールドやスマッシュブラザーズ、マリオテニスを指の皮がむけるほどやった。プレイステーションも買ったし、プレイステーション2も買った。プレイステーションで初めて「ジャンピングフラッシュ」を遊んだ時の興奮は今でも忘れられない。
読書やプラモデルも好きだったが、もっとも時間を使っていたのはやはりゲームだった。数少ない友達と遊ぶ時も、ゲームをして遊ぶことが多かった。幼少期の私の生活は、ゲームを中心に回っていたといっても過言ではない。
「楽しいこと」をたくさん見つけてゲームから遠ざかる
高校生になったころから、ゲームをプレイする時間はだんだん減っていった。最後に買ったゲーム機はゲームキューブだったと思う。引っ込み思案だった私も、高校に入ると気の合う友達が増えて、外に遊びに出掛ける機会が多くなった。カラオケやボーリング、映画やファミレスでの他愛のない話。新しい楽しみが増えると同時に、家にいる時間は少なくなっていった。
この頃になると将来の進路も考え始め、勉強に割く時間も増えた。やがてゲーム機はホコリをかぶるようになっていった。
「学ぶこと」への焦燥感から、さらに遠ざかる
進学を機に一人暮らしを始めたころには、ほとんどゲームをすることは無くなっていた。やったとしても、友達の家に置いてあるゲームを、飲み会ついでの遊びとして少しだけプレイする程度。そのまま就活になだれ込み、無事大学院を卒業して就職。
就職してからはレベルの高い同期に囲まれたせいか、謎の焦燥感にかられ、自分の視野を広げることや、自己研鑽に励む日々が続いた。英会話スクールにジム通い、空いた時間は図書館で資格の勉強。同期に刺激されて海外一人旅に挑戦し、しばらく旅行の魅力にとりつかれた。新しい経験や知識を通して自分がレベルアップしていく感覚が気持ちよかったし、自分が頑張っているという事実にどこか安心できた。
ゲームをやりたいとも思わなかったし、ゲームはもう自分には必要ないと思っていた。
自分に自信が持てて、余裕ができて、戻ってきたゲームの世界
海外旅行は今でも好きだが、ずっと憧れていた南米のマチュピチュとウユニ塩湖を見て、自分の中でひとつ区切りがついたような気持ちになった。英会話やジム通いもすっかり生活の一部として定着していた。仕事も含めて色々な経験をして自分に自信が出てきて、焦燥感から学んでいる状態から、純粋に学ぶことを楽しめる余裕が出てきた。
新しく家族ができ、引っ越しもして、生活も落ち着いた。そんな時、たまたま見かけたプレイステーション4のセール。ボーナスが出た直後ということもあり、特にやりたいゲームがあるわけでもないのに、軽い気持ちでポチッと購入。
試しにPlayStation Nowに登録してみて見つけた「塊魂」。ゲーム熱が冷めたころに見かけて「面白そうだなぁ」と思ったけど、結局プレイしなかったゲーム。早速起動してみると、どっぷりハマった。ゲームってこんなに楽しかったっけ。早く帰ってゲームしたい、寝る前に少しゲームしたい、そんな気持ちは久しぶりだったし、日々の生活に潤いが出るような充実感を覚えている自分に気づいた。
ゲームは人生を豊かにするツール
旅行や映画は日常に非日常をもたらしてくれるが、ゲームだってそれは同じ。未知の世界を自由に動き回り、たくさん楽しい経験をして、たくさん感動する。大げさに言えば、ゲームは人生を豊かにするツールのひとつなんだなぁと今は思う。
生活に支障が出るほどやりすぎるのはもちろん良くないが、それはどんな趣味だって同じこと。私は映像にかかわる仕事をしているが、映像の面白さを教えてくれたのもゲームだったし、最新ゲームの新しい映像体験には、現在進行形で刺激を受けている。
私はこれからも、自分の人生を豊かにするためにゲームを楽しんでいきたいと思う。あと最後に。スマブラSP最高。